ハナスバ2017 / 5月

音楽は聞くものなのか?
― 無音のアート・ドキュメンタリー映画「LISTEN」から考える ―
[ 福井市上映会 ]
2017年5月13日(土)
福井 北ノ庄クラシックス(福井市中央1-21-36 柴田神社小路)
[ 越前町上映会 ]
2017年5月14日(日)
だいこん舎(丹生郡越前町小曽原120-3-20 越前陶芸村内)

映画「LISTENリッスン」は、ろう者の「音楽」をテーマにしています。聞こえる人は、音がない世界に生きるろう者の「音楽」を考えることで、聞こえないろう者について思いを巡らせることがねらいでもありました。普段はなかなか出会えない人同士が出会う場が「ハナスバ」であり、そういった意味では、聞こえる人も聞こえない人も同じ空間で映画を見るという、日常にはあまりない場をつくれたのではないかと思います。
1日目の監督らのアフタートークやトークセッションでは音楽の概念について考えを深め、翌日の上映後の交流会では、手話通訳を介して聞こえる人と聞こえない人がひと時の会話を楽しみました。3回の上映会合わせ55名の方にご参加いただきました。
1日目昼の部上映後に行った共同監督のアフタートークの全文と同日夜の部のトークセッションの内容をまとめてレポートしています。

文/荒川裕子(福井芸術・文化フォーラム)
写真/office Photo Style


ハナスバ2017/5月

5月13日(土) 昼の部 アフタートークレポート

―― ”ろう者の音楽”をテーマにした経緯について

ハナスバ2017/5月牧原 この映画は、聞こえない人の中の「音楽」とは何だろう?とみなさんに問いかけしている作品です。私の両親はろう者で、私は手話で育ちました。小さいときからいろんな人の手話を見てきて、手話というものには間(ま)があって、その間が心地よかったんです。
聞こえる人には音楽はある、ろう者には音楽はないと言われてきました。ずっとそのことに違和感があったんですね。
大学のときに、サインポエムに出会いすごく感動しました。サインポエムは聴者にとっての「詩」と同じで、音楽とは別の物です。
手話は言語(日本語、英語というように)。一つの言葉で、文化もあります。ろう文化の中の芸術もあります。日本、アメリカ、フランス、いろんな国に芸術があるのと同じように。
初めて見たそのサインポエムに私は衝撃を受けました。サインポエムから紡ぎ出される言語ではなく、その非言語に。言葉ではないんです。間とか、そういうものに感動しました。ろう者に音楽はないと言われてきたけど、これがひょっとしたら「音楽」なのでは、と思ったんです。ろう者にも「音楽」はある、そう感じました。
聴者は音を通じての音楽がある。ろう者にはそれとは別の「音楽」があるんだということ。聴者には聴者の音楽、ろう者にはろう者の「音楽」がある、そのことを考えているときに、雫境さんと出会い、二人で話して、ろう者の「音楽」をテーマにした映画を撮ろうと思ったのです。

ハナスバ2017/5月雫境 「舞踏」をやっています。地に足をつけて踊るという踊り方で、大学から始め20年続けてきました。誘われたときは、音楽にあわせて踊るというのはできないと思ったんです。いや、大丈夫、大丈夫と言われ入ってみて、私にもできるんだと思いました。「舞踏」は何も音楽にあわせて踊ることではないと。音楽も使うのですが、音楽に合わせた動きではないんです。後ろに音楽が流れていることはありますが。聴者の「舞踏」には、音楽を使わない「舞踏」というのもあるんですね。それを見て私にもできると思い、20年間続けています。
その中で、ろう者もできるのではと思ったのには、ろう者ならではの踊りがあると思ったんです。例えば、聴者の踊りでブレイクダンスのようなものがありますよね。かっこいいと思って真似してやっているろう者はいますが、ろう者独特の踊りが表現できるのかな?と思います。理由は、手話の生活の中だからこそ気づくことがあり、ろう者は聴者とは違う踊りの表現ができるということをずっと考えていました。
音楽は深くは考えていなかったのですが、牧原さんと出会い、いろいろ話をしているなかで、ろう者にも「音楽」はあるのではと思いました。私のやり方・求めているのは牧原さんとはちょっと違いますが、基本というか、根っこのところは同じなんですね。それでできるかもしれないと思って、難しいけれど、表現して皆さんに、どうかな?と考えてもらうきっかけとして映画を作りました。

―― 出演者にはあえて素人を選んだ

雫境 映画に出演しているろう者はプロではありません。素人を選んで出演してもらいました。なかには米内山さんのような、ろうの世界では有名な人もいますが。舞台にたった経験がない人がほとんどです。なぜかと言うと、素人でも感情を表して表現することはできる。プロではないからこそ、映画を見る人と同じ目線で表現ができる。だから素人を選びました。
出演者には、ろう者の「音楽」とは、こうだと初めから分っているものではないと伝えました。私が映画を作りたい理由を説明しても、意味がわからないと言われることの方が多かった。それでも私たちの考えを一人一人に説明して。中には、小さいときから「音楽」のようなものがあるのでは、と思っていたという人もいました。一回で演技した人もいれば、何度も繰り返しやってもらった人もいました。それは本当に個人個人いろいろでした。
ろう者は音楽というと、嫌、という感情をもっている人が多いです。理由は、皆さんが思っているように狭い意味の音楽だと思っているからです。本当はもっと広い意味を持つものなのに。音だけではない、ということです。例えば波動。波動には音はないですね。感じる音。それも音楽だと私は思います。そういう意味でいろいろの説明をして映画を作っていきました。

牧原 映画の中にプロのダンサーを入れてしまうと、作りたい映画とはズレてしまうんですね。聴者の踊りを身につけたダンサーの表現では私たちが求めているのとは違う。無意識でやっているものを引き出したかったんです。自然な手話表現もあります。手話ではない、踊りと混ざったものもあります。踊りだけではない、手話だけではないものもあります。そういうものを出したかったんです。出演者の皆さんの心地よい気持ちとはなにかな?それを一人一人表現しています。なので一人一人違っています。同じ人はいません。
ご存知の方がいるかもしれませんが、ろう学校では音楽の授業はありました。聴者の世界では音楽というと、音にあわせての音楽をしますね。例えばろう者だったら太鼓。五線譜があって、音符があってそれににあわせて先生が言う通りに合わせなければいけない。ろう者にとっては意味不明なんです。そういうことで音楽を嫌いになっているんです。なので出演者に、私たちが探しているろう者の「音楽」はそれではない、音楽=聴者のものという考えがある、授業で先生の指示通りにやらされた音楽はあるけれど、それではない、ということを出演者には説明しました。音楽は幅広いもの。音楽は音ではないのです。
ヨーロッパで生まれた音符、それは日本には昔からあったものではない、新しい文化と言われているそうです。戦後、ヨーロッパの音楽が日本で広まり、日本の音楽の文化が衰退していきました。五線譜ではない音楽が元々たくさんありました。日本の音楽と言えば、声でのメロディがあったと思います。音符では無く。例えば師匠から弟子に口伝えしていく、そういうものがありました。昔の音楽を分析すると本当におもしろいんですね。音楽の基本と言うのは幅広くありました。
聴者の音楽だけではなく、ろう者にも「音楽」はあるはず。それらを皆さんがどう感じるかを聞いてみたかった。そのために映画を撮りました。ろう者の「音楽」はいわゆる“普通の音楽”とは違うということを分かってほしかった。映画の中にはいろんな表現があったと思います。聴者からみると、ロックやジャズ、クラシックみたいに分野が細かく分かれているのと同じように、ろう者の「音楽」も分野が分かれているのではないか。ろうの「音楽」はこれ、というように答えが一つあるわけではない。いろいろあるということを知ってほしいと思います。みなさんがどう思うかなということを聞いてみたかったんです。

※手話を訳した内容を掲載しました。


ハナスバ2017/5月


5月13日(土) 夜の部 トークセッションまとめ

登壇者:牧原依理(共同監督)、雫境(共同監督)、熊野壮一郎(福井県ろうあ協会青年部長)、渡辺里美(福井県ろうあ協会職員)、朝倉由希(静岡文化芸術大学講師)
司会進行:荒川裕子(福井芸術・文化フォーラム)

ハナスバ2017/5月映画「LISTENリッスン」を福井で上映するにあたり、地元のろう者にもたくさん参加してもらいたいという思いから、夜の部のトークセッションでは、福井県ろうあ協会から熊野さん、渡辺さんに登壇いただきました。
まずは、熊野さんと渡辺さんにご自身と音楽との関わりについて伺いました。
「近所の友達に誘われてCDを聴かされた。そのCDの音楽を聴いた友達がゲラゲラ笑っていた。その音楽は当時流行っていた『ガラガラヘビがやってくる』という曲。音楽=笑うという結びつきがなかったので、聴いて笑う姿が自分にはまったく理解できず、衝撃を受けた」と小学生の頃の経験を語った熊野さん。また、映画好きでもある熊野さん、映画の終盤でかかる音楽が(『ロッキーのテーマ』を例に挙げ)すごく良いんだよと父親から言われたことがあるが、それが理解できなかったというお話も挙がりました。
渡辺さんからは、通っていた地域の小学校で、音楽の授業で歌のテストがあったがすごく苦手だったこと、連合音楽会では、木琴をやる羽目になり、先生に指導され練習ではなんとか上手く叩けるようになったが、本番では、練習していた木琴ではない違う木琴に変わっていて、叩く場所がわからないが故に練習通りにできなかった。適当に叩く真似をしたらその後に先生からとても叱られてしまったとのこと。
お二人にとって、音楽についての関わりで良い思い出があまりなかったようです。

ハナスバ2017/5月「学校教育の中で学ぶ音楽というのは、鑑賞マナーであったり、手本通りに上手く奏でることであったり、窮屈さを感じる。古来、日本人は、儀式・儀礼などを重んじその中で言葉を使った音楽、声の音楽が多いのが特徴であるのに、いつのまにか好きかどうか、すばらしいかどうか、と幅の狭いものとして音楽の概念が浸透してしまっている」と文化政策の研究者である一方、コーディネーターとして企画をする立場でもあり、小さい頃からピアノやフルートを習い現在も演奏活動をされている朝倉さんからの鋭い指摘がありました。そういった意味において「音楽とは何か?」と疑うことに気づかされた映画だとおっしゃってくれました。

そこから音楽の起源の話になり、雫境監督から「もともと“音楽”という言葉は『MUSIC』を日本語に訳した言葉であり、『MUSIC』の語源には『MUSE』という意味がある。文学、歌、踊りなど芸術を司る女神から来ている」という説明がありました。
日本では“音楽”という言葉にこだわりすぎて、音が中心になっているが、本来はもっと幅の広い意味を持つ。ろう者が自ら音楽を表現しているシーンではリズムを感じ、音楽には身体性があるということをろう者の「音楽」から気づくことができたという朝倉さんからの感想も。音楽の起こりを紐解くことで、ろう者にとっての「音楽」はある、ということを共有できました。

ハナスバ2017/5月牧原監督からは映画を見た聴者からは「音楽なのか?踊りなのか?」という質問をされることが多いというお話がありました。「手話やろう者の世界を知らない聴者からだと全てを「踊り」だと捉えやすい一方、全てを「言語」として捉えるろう者もいた。ろう者は非言語をそのまま受け取ることに慣れていなく、言語として捉えやすい傾向にある。私から見ると、これは「音楽」のようなもの。でもそれを聴者に説明するのはとても難しい。言葉では説明できないから、映像で撮った。でも聴者の音楽をろう者が完全に理解できないように、これもまた聴者には理解しえない感覚だと思う。ただ、それを見る時に生まれる感情はどちらも同じ感覚なのではと思っている」ということをお話しされていました。

映画「LISTENリッスン」は、ろう者の音楽とは何か?という問いを観た人に考えてもらう映画です。ろう者が使う、言語としての手話(言葉)ではない「非言語」の領域の可能性を示してくれた映画であると同時に、ろう者の「音楽」を知るということで聴者にとっての音楽の考え方に広がりを持たせたくれたのではないかと思います。


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